【社長ブログ】12月になると思い出す人がいる
12月になると思い出す人がいる・・・
私は2007年3月、長年勤めていた会社を辞め、介護業界に転職しました。転職を決意したのは、その前の年のちょうど今頃でした。そして、そのことを最初に報告したかった人が、かつての上司であるUさんでした。
20年余前のバブル直後、私はUさんの下で「事業開発」という仕事をしていました。事業開発と言えば聞こえはいいですが、定型の仕事は何もなく、事業のシーズ(種)を拾ってきて、それを企画して、推進する・・・・。それが尽きると仕事はない、という毎日でした。
Uさんは豪放磊落の典型のような人、間違っていると思えば、上司に対してでもはっきり物を言う方でした。出来の悪い私は、Uさんからよく叱られました。「システム部門出身のお前(私は社会人になって8年間は情報システム部門にいました)は、いつも答えが0か1か(yesかnoか)、どちらかしかない。しかし本当の正解はその中間にある」、「着想は大きく、しかし着手はまず現実的なところから(着眼大局着手小局)」、「お前の話しは飾り部分ばかりで、本質的なところは一つもない、まるで○○○の○○○のようだ」。物事を見過ごした時、物事から逃げた時、特に厳しく叱られました。
その一方でとても繊細でひと(他人)に優しい人でもありました。ある時期、私は自身の処遇に関し、思いが叶わなく意気消沈していました。その時、Uさんは私にこう声をかけて下さいました。「自分の思いが100%叶うなんて思っているのか?それに、思いが叶わないのはお前だけじゃない。俺も一緒。今の俺は自分のことで精一杯で、お前を慰めているような余裕なんかない!」と。Uさん自身も大変な状況だったのでしょう。しかし翌日には、上司に物申すいつもの通りのUさんの姿がありました。私への突き放した言葉と姿が、私の心に沁みるように入ってきました。俺もお前も同じ、その気持ちも同じ、だから良くわかる、でも俺はもう普段通り自分の仕事を精一杯しているのだと・・・・・。Uさんは、こういう表現で私を励ましてくれたのです。私は、人に共感(共悲)するとは、こういうことなのかと知りました。そして、私の鬱々する気持ちはいつしか消えていました。以降、私はこれまで以上にUさんから学ぼうとし、今の私の基礎になっているものの多くをUさんからいただきました。
そんなUさんの訃報を受けたのは、12月に入ってまもなくの頃。転職の報告もできず、茫然と立ち竦んだことを今でも記憶しています。今も物事の決断で迷った時には、Uさんだったらどう行動されるだろう、私にどう叱ってくださったのだろう、と思うこと度々です。
(東京新橋:汽車のイルミネーション)
夜の街には、クリスマスのイルミネーション。そんな12月が今年も廻ってきました。今、Uさんが私にしてくださったように、私は他の人に対してできているのだろうか、私の内側から問われています。
平尾 雅司






















